ニューアルバムのジャケも、文字校以外はほぼ完成という中、
中村佑介くんがTwitterにこんな投稿をしてくれました。
自慢話になってしまいますが、光栄なことなので掲載させてください。
僕はあの時、ゲントウキがいなかったら、絵を続けてなかったよ。
— 中村佑介 Yusuke Nakamura (@kazekissa) 2016年8月4日
同じ時代で同じ世代、そして同じ大阪に、こんな大きいポップスの才能がいるんだったら、僕は漫画や音楽でなく、きちんとイラストがんばろうと思って、プロを目指したんよ。そしてこのライブチラシが最初の仕事。もうすぐ10年ぶりの新作も発表です。 pic.twitter.com/lOHvOTx73J
— 中村佑介 Yusuke Nakamura (@kazekissa) 2016年8月4日
今や日本を代表するイラストレーターである中村佑介を生み出す、きっけの一つがゲントウキだったという実感は、なかなか沸かないのですが…
このイラストは中村君が初めて書いてくれたゲントウキのフライヤー(2001年)
横顔の女性美という価値観はすでに完成しています。
(よく見ると対バンも面白いですね、ムーンライダース、遠藤賢司さん、初恋の嵐…)
この頃、中村君は芸大の研究室にいて、飲食店でアルバイトをしてたのを覚えています。
田中はHMVの店員でした。
お互い阿倍野周辺に住んでいました。
そして…
中村佑介ファンの間でよく話題にのぼる、アジカンが先だ、ゲントウキが先だ、という議論。
これは、実はどちらも正しくないのです。
CDジャケットという意味ではアジカンさんの方が少しだけ先です(デビューが先)
中村君が描いたゲントウキのフライヤーを見て、アジカンさんが中村くんにオファーしたというのが真相です。
アジカンさん、ゲントウキ、双方が中村君にCDジャケットにお願いしたのは全くの偶然で、どちらが真似したとか、そういうものではありません。
そりゃあ、こんなかっこいいフライヤー描いてくれたらジャケットもお願いするでしょう。