インタビュー/小窪瑞穂
10年の月日を経てかたちとなったゲントウキのニューアルバム、『誕生日』。 アルバムに込めた思いを、田中潤がより詳しく語る、スペシャルロングインタビュー。
——お久しぶりです。私は、3rdアルバム『感情のタマゴ』(2005年)以来の田中さんへのインタビューとなります。今回は10年ぶりのアルバムリリースということですが、まずいきさつからお話をうかがってもよろしいでしょうか?
田中 ゲントウキがちょうど僕のソロ・プロジェクトになってから、しばらく作曲やプロデュース業の方での基盤を作らなければならなくて、気がついたらこんなに時間が経ってしまっていた、という感じなのです。
「誕生日」と「5万年サバイバー」が東日本大震災後に出来た曲で、その時にこれはゲントウキのアルバムを作らないとなあと思いました。
"誕生日"
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——やはり東日本大震災を境に、曲作りや表現は大きく変わりましたか?
田中 そうですね、あの時は混迷していたというか、音楽だけでなくいろんな表現者たちが無力感に襲われていたと思うんですね。しばらく何も作れない時期が続きました。僕の場合は、正直にいうと、無力感というより、もっと利己的で自分がカタチのないものを作る、いらない人間のように感じていました。でもやっぱり自分が立ち直らなければならないという時に、必要なものは何だったかというと音楽を作ることだった……。それでまた曲を作り始めて、提供楽曲も社会を見て思うことを歌にすることが増えました。震災のあの時、ソーシャルメディアがすごく力を発揮して、情報を一瞬にして世界に広めて、共有出来るようになった。そういうのも含め、社会が大きく変化したというのが実感としてあったので、そういうテーマの曲が多くなったのかもしれないですね。
一時は無力感に襲われ、音楽を作れなくなってしまった。人間として、表現者として、大きな変化を迫られた出来事、2011年3月11日東日本大震災。
——はい、歌詞の世界でも変化を感じました。
田中 それくらい大きな変化の中に僕らはまだいるんだと思いますね。
——曲作りでも変化はありましたか?
田中 バンド時代にやりたいと思っていても出来なかったことをやろうっていうのはありました。
——旧譜と聴き比べてみたんですけど音が全然違いますよね。これはご自宅にスタジオを作ったのとやはり関係がありますか?
田中 そうですね。それもありますけど、単にテクノロジーが進化したっていうのもありますね。今どんな音でもサンプラーで鳴らせるんですよ。
でもマイクとか、声や生ギター、いわゆる生音を録るためにはやはりスタジオ・クオリティのいい機材が必要だから、お金を貯めて買いました。
——先程お電話した時は自宅スタジオにいるということでしたが、なんとなく地下室のような感じを想像しました。
田中 ガレージの後ろにあって、昔貸し店舗として使われていた空間なんですよ。そこを遮音吸音して使っています。響かないクリアな音で録れるんですよ。素の音が録れる。
——なるほど。
田中 さすがにオーケストラは録れないですけど、ほとんどの楽器が自宅で録れるようになりました。マイクさえあればドラムも。そういうので音が変わったといえばそうなのかもしれないですけど、自宅だから時間が限られていないということで、どこまでも追求出来るようになりましたね。だから、自分が納得出来るまで完璧に出来たというか。
——では今はこだわりたいところに好きなだけ時間を費やせるんですね。
田中 音質以外は全部クオリティが上がっているはずですね。実際音質もプロのスタジオにもそんなに劣っていないと思いますよ。
——田中さんの歌い方もより洗練されたというか……変化を感じました。ポップなだけではない、いろいろなタイプの曲が入っている、というのもあるんだろうけど、この10年間に人に曲を作ったりプロデュースをしたりというのも、影響したのではと思いました。
田中 それはありますね、自分では断続的に自分の歌を聴いているのでそこまで大きな変化はわからないですけど、人に曲を作る時って仮歌は自分で歌うんです。だからいろんな人の歌い方を模しているうちにそれが表現力となって自分についたのかもしれませんね。
時代も変化し、ひとも変化するなか、誰にとっても時は等しく流れる。ゲントウキ田中潤にとっての、この10年間とは?
——なるほど。では、田中さんがふり返ってこの10年間はいかがでしたか?
田中 ゲントウキとしての曲はそんなに作っていなかったけど、僕はずっと曲を作ってはいたので、そんなに時間が経った気はしないんですけど、そうですね、はじめは作曲家としての基盤を作るのに必死でしたね。あとは、年に1回はゲントウキのワンマンライヴをやっていたので、そんなに時間が経った気はしていなくて(笑)。
——あっという間の10年だったんですね。
田中 でも、あの時私は高校生だった、って人が社会に出て何年も経っていたり結婚して子どもがいたり、というのを知ると、そんなに時が経ったのか……ってびっくりしますね。たとえば、「初めて買ったCDがゲントウキでした。」って子がもうデビューしていたり。
——それは驚きますね、初めてのCDって! きっと影響を受けて音楽の道に進んだんでしょうし……って私が興奮してますけど。
田中 僕気がついたら来年40ですし、もうそういう域にきてるのかと焦りますよ。世の中的にこんな40がいて許されるのかって思いますけどね(笑)。
——いやいやいや、私も同じ年なので。すごいですよ、田中さんは。今までのメンバーとの関わり合いはどんな感じですか?
田中 イトケン(伊藤健太/Ba)だけはサポート・メンバーというかたちで続いていますね、5年くらい前から復活して。
——来歴見て思ったんですけど、私がゲントウキに出会ったのってまさにイトケンさん加入後の2002年なんですよね。東京に拠点を移されてからの。
田中 メジャー盤からですかね?
——レーベルのコンピレーションとスピッツのトリビュートアルバムです。ところで、今回のアルバム『誕生日』について、セルフライナーノーツがあるから1曲1曲お話を聞くのはどうかと思ったんですが、やっぱり聞きたくて。さらっと聞いてもいいですか?
田中 もちろんいいですよ、どんどん聞いてください。
“音楽を作らないと人生先に進まないな、というのがあったので。これを出さないと僕はどこにも行けないっていう気持ちで作りましたね。”
セルフライナーノーツにはなかったこぼれ話も!? 時代と社会とソーシャルメディア、価値観の二極化、影響を受けたブラジル音楽、各曲にまつわるよもやま話。
——ありがとうございます。では、1曲目の「誕生日」ですが、先程も社会についてよく考えるようになった、とありましたが、以前から音楽を作るのにそういった時代や社会、その変化を意識することはあったのでしょうか?
田中 まったくしてなかったですね。
——やはり東日本大震災が大きなきっかけに?
田中 はい、それは大きなきっかけではあるんですけど、さらに大きな目で見ると、ソーシャルメディアの存在が大きいと思いますね。※Myspaceってあったの覚えてます?(※“後発のFacebookに抜かれるまで英語圏では最も巨大で人気のあるSNS型サイトだった。” ウィキペディア日本語版『Myspace』より)
——はい、流行ってましたよね。私音楽作ってないのにアカウント持ってましたよ(笑)。あれはいつくらいでしたっけ?
田中 2007年くらいですかね。今はどこか行っちゃいましたけど、日本人がはじめて世界とつながったソーシャルメディアなんじゃないかと。
※mixiは閉じられてましたからね、あれは完全にクローズドでした。(※“日本では最も早い時期からサービスを展開しているSNSの1つである。” ウィキペディア日本語版『mixi』より)みんな忘れてると思うけど、Myspaceがmixi離れを引き起こしたんですよ。当時、これだけオープンなSNSがあるのにmixiなんてやってられるか! ってなって、みんな来て来てMyspaceってなってましたもん。
——なるほど! それは考えたことがなかった。
田中 一般のユーザーはお気に入りの曲を貼ることが出来たし、HTMLも使えたんですよ。だから自分のホームページに誘導したらいい、もしくはカスタマイズしてもいい。そうする人がいっぱいいて、でもそれが出来すぎてめちゃくちゃ画面が重くなったんですよ。それを解決する為に画面を統一しちゃった。自由度がなくなり、おそらくそれが衰退の原因なんですよ(笑)。
——なるほど……私はもう存在すら忘れていました。
田中 そしてMyspaceを取って食ったのがTwitterとFacebookですよね。
——そうか……じゃあもう誰もMyspaceは使ってない?
田中 使ってないと思いますよ。
——SoundCloudとMixcloudはどう思いますか?
田中 一応アカウント持ってますけど、いまひとつメリットを感じられないんですよね。積極的に自分の作品をアップする場所としていいとは感じられなくて、でもまあ世界では主流になってますよね。インスタントな音楽と一緒になってしまうので……僕は映画のようにじっくり作って、YouTubeの方がまだいいなと思いますね。
——“映画のように”、いい言葉ですね。
では、2曲目の「5万年サバイバー」、これはすごく共感しました。
田中 これは現代のテクノロジーを否定しているわけではないんですよ。前の時代と今の時代の接着剤のようなところというか、新しい時代に移っていくときのひずみのような。たとえば転職する時とか恋人を新しくする時って痛みをともなうわけじゃないですか。そういう痛みに似ていると思うんですけど、時代はすごく変わっていて、価値観の変化を迫られているのが今なんだと思います。これは僕の予想なんですけど、この先、どっちの価値観を選ぶか、というような分断が起こると思うんですよ。
——どっち……と言うと?
(このインタビューはアメリカ大統領選の前に行われました。)
田中 たとえばですけど、物質社会を選ぶのか、物質から解放される社会を選ぶのか。昔だったら共産主義を選ぶのか自由主義を選ぶのかっていう選択を迫られた時代があったと思うんですよ。そういった、イデオロギーの違いがあったと思うんですよね。だから、価値観の二極化っていうのが起こると思うんです。モノを所有する側になるのか、それとも捨てていく側になるのか。僕は物質社会で育ってきたので、どっちが正しいかってまだ判断出来ないんです。まだ物質に対する未練があるというか。でも今の社会では、物質を捨てた方が気が楽なんじゃないかって思う瞬間があるんですよね。
——ありますね……深いですね、私はもっとポジティヴに受け取ってしまってました。
田中 いや、ポジティヴでいいんですよ、社会全体ではいい方へ向かっているという意味ではあります。
——私「そろそろ許してよ 中身ない歌も」ってフレーズに笑ってしまいました。これはある種のアイロニーですよね、めちゃくちゃ中身あるのに(笑)。アイロニーだしユーモアでもあるし、なんかいいなあと。
田中 中身ない歌いっぱい溢れてましたからね、特に90年代。何言ってるかわからない文学的な曲とかあったじゃないですか。意味がない方が格好いい、みたいな。そういうのは今あまりない、というか。
——ああ、なるほど(笑)。では、3曲目の「カモメの気持ち」、これよく耳に残るというかすぐ覚えて歌ってしまうというか、すごく惹かれます。歌詞でたとえば「世界が終わったとしても」とか「出来損ないの国境を無視して」とか、混沌とした社会や世界を見つめる田中さんの視点を想像したんですが。
田中 なるほど。でもこの曲はそこは意識していなかったんですよね、中身ない歌を歌おうと思って。
——中身ない(笑)! じゃあこの歌詞は自然に出てきた言葉ってことか。
田中 そうですね、潜在意識のなかであったのかもしれませんね、終末思想的なものが。
——それはそれですごいですね。では、4曲目の「Bye-Bye」、これは宮崎薫さんに書いた曲のセルフ・カヴァーということですが。
田中 ちょうど時期的にも「誕生日」を作ってた時くらいだったので、自分で歌いたいなと。
——これは感傷的でとても美しいメロディだなあと思いました。
田中 ありがとうございます。
——5曲目の「愛の砂漠」、これは……すごくゲントウキらしいですよね。
田中 そうですよね、これは一番自分らしいと思います。
——タイプは少し違うかもしれないですけど「トップニュース」(3rdアルバム『感情のタマゴ』(Teenage Symphony)収録)を思い出しました。楽曲のもつ迫力や歌詞とメロディのバランスみたいなものに通じるものがあるなと。
田中 なるほど、うんうん。実はサウンド的にはこれをリード曲にしたかったんですけど、「誕生日」や「5万年サバイバー」にくらべると歌詞が地味かなと。
——歌詞が地味(笑)。
田中 いや、インパクトですよね。サウンド的には自分らしいんですけどね。自分がディレクター目線でこの歌詞でいいのかってなった時に、「違う!」と思って。
——なるほど、そういうジャッジがあったんですね。では6曲目の「ソフトクリームとスカートの記念日」、これはTokyo Bossa Novaに提供した曲ですね、私コンピレーション『TOKYO BOSSA NOVA〜vento〜』(Happiness Records)持っていました。これも田中さんの曲だったとは。
田中 ゲントウキって書いてあるのに。
——あれ、すみません! 私、田中さんのベースにブラジル音楽があったことすら知らず……。
田中 そうなんですよ、ゲントウキでそこが出来ないのが今まではストレスでした。バンド時代は僕以外ブラジル音楽聴かなかったし、他のメンバーはアメリカ、イギリスのポップスのリズムだったので。
——この曲は歌も本当に美しくて。最後のLalala……と歌いながらエレキギターが終わっていくところなんて鳥肌立ちました。
田中 ありがとうございます。
——今作、かなりいい反応なんじゃないですか?
田中 否定的な意見はまだ聞かないですけど、もっと売れたいですね。
——まだこれからじゃないですか!
田中 まあ売れなくても僕はアルバムが名刺代わりだと思っているので。音楽を作らないと人生先に進まないな、というのがあったので。これを出さないと僕はどこにも行けないっていう気持ちで作りましたね。
——そういう強いものは感じます。では、7曲目の「アルゴリズム」は「愛の砂漠」と同じサックス奏者の竹上良成さんが参加されていますね。
田中 竹上さんは日本ポップス界の重鎮プレイヤーです。超人気者です。
——竹上さんとはどんなご縁で?
田中 中島美嘉さんの「雪の華」を作曲された松本良喜さんと僕知り合いなんですけど、松本さんにご紹介いただきました。May J.の楽曲でも吹いてらっしゃっていて。僕は竹上さんの音はいろんなところで聴いているけど、今回が初対面でした。ほんと天才だなと思うし、人間的にも大好きな方ですね。
——そんなふうに思える方と10年ぶりのアルバムでご一緒出来て本当によかったですね。それでは、8曲目の「Busy Days」、これはセルフライナーノーツを読んでいて楽しくなってしまったんですが、“コードワークではなくリフでどこまで曲が書けるのかという個人的な挑戦”をして、“結局サビでコードワークに帰結しております、ポップなんだから仕方ない“と。これは田中さんのポップ職人としてのぼやきというか……。
田中 僕の中にブルースの血は絶対に流れてなかったというか。
——ははははは(笑)!
田中 リフは今後も挑戦したいんですけどね、いわゆる黒人の血は流れてないと思うんですよ、普通に当たり前ですけど(笑)。
——聴いてはいるのにまったく影響受けてないってことですよね。
田中 聴いてはいるので、挑戦はしたいですけどね、1コードものとかね。1コードで耐えられて8小節とか……。
——(笑)、ではラスト「素敵な、あの人。(アコースティックバージョン)」、これは……最高ですね、これがラストって。でもこれだけセルフライナーノーツがないですけれど。
田中 これね、書けばよかったなあと。アルバムが出来上がった時、8曲でマスタリングしようとしてたんですよ。その時にビクターのディレクターさんがアイディアをくださったんです。今まで聴いてくれていた人たちが懐かしいような曲をラストに持ってきたらどうか、と。
——私もまさにそうですけどなんかこう、“おかえり”という気持ちというか、“帰ってきてくれた”みたいな安堵感がありましたね。
田中 ああ、そうですか、よかった。まあ、今聴いてもいい曲ですよね。最近僕の興味はテクノロジーを駆使した音楽っていうのに向いているんですね。
“新しい価値観を提示している人が好き。”
“言いたいことを言っている人たちが今、音楽家ではなくなっている気がしていて。”
——CINRA.NETさんのインタビューでの「テクノロジーと芸術は相反しない」っていう田中さんの言葉が印象的でした。
田中 自分が前に進むためには、というか、僕けっこう飽き性なので。新しい価値観って好きで、アナーキストが好きです。ジャンルを問わず。
——ああ、万人受けはしないけど……っていう?
田中 というか、新しい価値観を提示している人。
——やはりそれも変化していく時代や社会とリンクしますよね。じゃあ、今の日本の音楽は田中さんからするとうーん……という感じですか?
田中 尖っていないですよね。いや、尖っている音楽をやっている人はいっぱいいるんですけど、尖らせてくれない雰囲気があると思うんですよ。これって日本だけなのかわかんないけど、すごい優等生というか。すごいオーガニックなことばっかり言ってる。
——オーガニック(笑)。
田中 オーガニックがだめって言っているわけじゃなくて、茂木健一郎さんがおっしゃってたんですが、「所属先で人を判断するな」と。日本って「◯◯所属」ってプロフィールに平気で最初に書くじゃないですか。日本ではそれが当たり前というか。
——ああ、そうですね。
田中 会社員ならまだわかるんですけど、芸事をやっている人が「〇〇所属」ってまず書きます?
——なるほどね、それは個人主義じゃないってことですよね。
田中 そう、個人主義が許されている世の中なのに自ら手錠をかけているというか。たとえ事務所と契約していても、まず自分が何者かっていうのを言うべきであって、人気商売の人たちがまず「〇〇所属」って書くのが世の中をつまらなくしている一つの要因なのかなって思いますけどね。あと、SNSでものすごい批判が殺到する時代じゃないですか。
——ああ、やはりそれはインターネットの普及が関係していると?
田中 それはあると思いますね。優等生的なことを言う人が増えたというか。だからもし清志郎さん(忌野清志郎)が生きていたらどうしただろう、とか気になりますね。もし清志郎さんが今の時代に生まれていたら音楽家になっていなかったかもしれませんよね。言いたいことを言っている人たちが今、音楽家ではなくなっている気がしていて。それが音楽に戻ってきたら最高なんですけど、そうなりそうにもないでしょう? 音楽が新しい表現形態に移行していっているんじゃないかと思いますね。
“いろんなことをやっていきながら、日本人として海外に認められるものを作りたい。”
——田中さん自身も社会を変えていくような音楽を作りたいですか?
田中 音楽に力が戻ってきて欲しいとは思いますけど、日本の音楽に力がないんじゃなくて、やっている人たちは相当すごいと思うんですよ。ジャンルにもよりますけど僕はRADWIMPSとかすごいと思いますよ。J-Rockの歴史の中であんなバンドはいなかったと思うし。映画『君の名は。』で今評価されてますけど、それ以上のポテンシャルを持っていると僕は思うんですね。人を褒めてどうするんだって感じですけど(笑)。そういう人たちがいっぱいいるのに、日本社会が塩漬けにしている気がするんです。音楽自体が厳しい時代なので日本に限ったことではないかもしれない。
——なるほど。たとえば、音楽シーンに変化をもたらすために自分がどんなふうに関わっていこうか、どういうふうに働きかけていこうか、抱いているものはありますか?
田中 どこまで出来るかっていうのは自分の人生との兼ね合いでもあるので、下手にこれやります! っていうのは言えないんですけど。
——たとえば音楽が、さっき言った「音楽を使った新しい表現形態」に移行していくとしたら、ではどうでしょう?
田中 アナーキーな人たちの言葉は参考になっていて。 例えばチームラボの猪子寿之さんが言っていた「人の幸せや感動は物質ではなく、体験である。」とか。
——ライヴや即興的な何か、になるんでしょうか。
田中 ライヴって1日だけじゃないですか。それを何日間か体験出来るようにしたいんですよね。たとえば展覧会って何日間も体験出来るじゃないですか。
——会期がありますね。
田中 映画もそうですけどね。
——フェスよりは長く……という感じになりますよね。
田中 じゃあ映画でいいじゃん、ってなりますよね(笑)。そうですね、フェスよりは長く。
——映画音楽には興味がありますか?
田中 一本やってはいるんですけど、今後ももちろん機会があればぜひやりたいです。
——映画音楽、田中さんにぜひ作ってもらいたいですよ。
田中 こういうことは日々考えてるんですけど、ぜんぜん具体化していなくて、具体化していかなきゃだめなんですけどね(笑)。ゲントウキって幸い映像っていう意味合いもあるので、幻の燈篭の機械っていうね。
——なにかこう運命的な感じがしていいですね。
田中 そうですね、がんばりたいですね。
——今回ホームページにも英語のページがありますし、歌詞も英語訳があって、そと(海外)にひらかれているというか、すごくいいなと思いました。
田中 ありがとうございます。
——オフィシャルホームページがそとにひらかれているのは、本当にすごくいいことだと思います。このインタビューも英訳つけましょう。海外を意識して、どんなものを作っていきたいと思うようになりましたか?
田中 格好いいドメスティックなものを作りたいですね。日本人にしかわからないものではなく、海外の人も理解出来るドメスティックなものが作れたら最高だと思いますね。まだ模索中ですし、今回のアルバムに関しては、僕が今までやりたかったことをやっただけって感じで、そこまで海外は意識してはいなかったんですが、英訳つけようと思ったのは、すごく自分らしいものが出来たので、せっかくインターネットもあるんだし、日本人にだけ向けて発信するんじゃなくてって思ったのがきっかけです。
——素晴らしいことだと思います。では、ゲントウキとして、音楽家田中潤として、今後の活動をどういうふうに考えていますか?
田中 ほんとうに、いろんなことをやっていきたいですね。
——さっき飽き性だって言ってましたもんね。田中さんは本当にそのときどきの時代の空気を見ながら、合うものを選んでやっていきそうな気がします。
田中 はい、やっぱり海外っていうのは夢ですけどね。日本人として海外に認められるものを作りたいですね。70億人の人間がいるのに、1億人の人間にしか向けなくていいの? って思うんです。
——うん、確かにすごくいい音楽を作っているのに、日本でしか聴かれないというのはもったいないですよね。
田中 日本と外国との壁がありすぎて、それをなくしていきたいなというのはすごくありますね。こうなった要因には単純に英語が得意じゃないっていうのもあるし、日本のマーケットがそこそこでかいっていうのもあるとは思うんですけど。もちろん、日本は好きですよ。40年も暮らしている、自分が生まれた国ですし、いい国か悪い国かって言われたら、いい国に決まってると思うし。でももっと先を行って欲しいというか、もっといい国になって欲しいと思いますね。
こぼれ話のこぼれ話、私たちの90年代。
——私もそう思います。ところで、私たちの世代って90年代が青春というか、田中さんの音楽活動のはじまりも95年ですよね、あの頃の音楽シーンって今と比べるとどんなふうに違いました?
田中 ジャンルごとにすごくはっきり別れていたというか、違うジャンルの音楽の人たちとは絶対に口を利かなかった。
——もう違う国の人同士、みたいな感じですか?
田中 そうそう! ロッキンオンに「メタル十番勝負」って連載があったんですけど、メタルの人に敢えてインタビューしてそれを笑う、みたいなコーナーなわけですよ。だっせえ、こいつら……みたいな。完全にメタルの人達をバカにしてるんですよ。あと、ブラーのファンとオアシスのファンが殴り合いのけんかをしちゃう、みたいなことあったじゃないですか。
——なんか、ありましたねえ。
田中 なんか90年代ってジャンルごとに宗教が違うくらい、全然違ったんですよね。そういう時代でしたよね。今はそんなのない、というか全然ジャンルが違っても仲良くなれるし。
——そういうところからしても、みんな優等生になっちゃったってことなんですかね。
田中 ああ、そういうことなんですかね(笑)。僕も今、音楽をジャンルでくくることはほとんどないというか、今ハードロックとかヘヴィメタルとか聴いたらすごい面白いんですよね。アンサンブルとしてしっかりしてるし、エクストリームとかモトリー・クルーとかリフがすごい面白いですよね。
——ただ、90年代当時は無視していた。
田中 ださい、と思ってましたね。
ゲントウキと親しいミュージシャン、そして彼なくしてはもはやゲントウキを語れない、アルバムジャケットを手掛けるアーティスト中村佑介。
——では、00年代に入って活動の拠点を東京に移してから交流のあったミュージシャンで今も親しい方は?
田中 HARCOさんは今も仲がいいですね。
——HARCOさん! お元気ですか? ずいぶん前ですけど、オフィシャルウェブサイトやフライヤーの文章を書かせていただいたことがあって。
田中 そうなんですか、元気ですよ、家も近いんですよ。あと先輩ですけどKIRINJIと堀込泰行さん。
——KIRINJIにも掘込泰行さんにも『誕生日』にコメント寄せていただいてましたね。関西勢、ベベチオや
ANATAKIKOUはどうですか? 当時ライヴをよく一緒に観ていた記憶があります。
田中 もちろん、彼らも交流ありますよ。
——ずっとアルバムのジャケットを手がけていらっしゃるイラストレーターの中村佑介さんですが、今作も素敵なアートワークですね。
田中 彼は今や日本を代表するアーティストですからね、音楽で彼のような存在になりたいなと思いますね。いろんな意味で尊敬していますね。
——そういえば、私Twitterで田中さんと中村さんの会話を見て名乗り出たんですよね。ロングインタビューした方がいいんじゃないっていう。
田中 いやもう、ほんとありがとうございます。
——こちらこそ、久しぶりにインタビューすることが出来て私もうれしいです。しかもアルバムの発売日が偶然自分の誕生日で、タイトルも『誕生日』だったので……これ、なんか私呼ばれていないか、と思って(笑)。ずうずうしいかなと思いつつも。
田中 とんでもない、うれしかったですよ。本当にありがとうございました。
——こちらこそ、どうもありがとうございました。
(10月3日 Skypeにて)
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